今月のことば「いただきます」と 「ごちそうさま」
私のまわりには、たくさんのお坊さんがいます。
じいじと、ばあばと、おじさんと、おばさん、そして担任の先生です。
私が五才の時にじいじが話をしてくれました。
小さな魚たちが海で遊んでいました。
すると船が来て、網に小魚たちがひっかかってしまいました。その小魚たちはちりめんじゃこになってみんなのごはんになってしまいました。
ある男の子が「ごちそうさまでした」を言った時、お茶碗にちりめんじゃこがくっついていました。男の子は少しぐらい残してもいいと思っていました。
すると、茶碗の中から泣き声がしました。覗いてみると、ちりめんじゃこが泣いていました。
男の子は「どうして泣いているり?」と聞きました。
すると、ちりめんじゃこが「ぼくたちは海で泳ぎたいのに、君たちのご飯になってしまったんだよ。
それなのに残されてしまったから悲しいんだよ」
みそれを聞いで男の子は「ごめんね」と言って、残したちりめんじゃこを食べました。
私たちが食べているご飯は、誰かの命をいただいている、ということを知りました。
給食に出てくる、野菜や肉や魚やご飯にも命があっていその
命を戴いているから私は生きているんだと、じいじに教えてもらいました。
学校の心の授業でも教えてもらいました。
私はこの話を聞くまで「いただきます」と「ごちそうさまでした」を何も思わず言っていましたが、
今は「ありがとう」という気持ちで言っています。
光華小学校二年 熊崎結菜
※文化時報作文コンクールより
●「御馳走さま」には「馳」と「走」の二字の「はしる」がある。
馳は、はしっていたもの、生きていたものを戴いている。
走は私に食べさせるために、はしりまわって準備してくれた人のものを戴いている。
その二つに感謝する言葉であると教えられた。あなたの命をいただきます。ごちそうさま。
2021年3月
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