今月のことば「日本は仏陀の教えによって救われた」

インドで仏教再興を志して昭和六年に鹿野苑(サルナート)に建てられた初転法輪寺の壁画にお釈迦さまの一生を描いたのは、香川県出身の野生司香雪画伯である。

彼は昭和七年から五年間もの年月をかけて、異郷の地で資金の欠乏にも悩まされながら、まさに捨て身の苦行のような精進を続けられ、全長四十四メートル、高さ四メートルの巨大な壁画を完成されました。釈尊に生涯を捧げた仏画家です。

その壁画も経年劣化で剥落が激しく、壁画保全プロジェクトを立ち上げ寄付を募っています。
その野生司香雪画伯顕彰会の会長、生田要助様とは古い知り合いで先日もお会いした時、戴いたチラシが、スリランカ ジャヤワルダナ大統領の発言「日本は仏陀の教えによって救われた」です。転載します。

憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によってのみ消え去るのである。

敗戦後の東京裁判でインド人パール判事がただ一人「日本無罪論」を展開されたことは比較的よく知られているのに対して、一九五二年に日本が国際社会に復帰する前年の九月六日にサンフランシスコ講和会議の場で「日本を救った」と言われる演説をしたセイロン(今のスリランカ)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大蔵大臣(当時)の名前を知っている人は少ケート調査では九八%の日本人でが知らなかったと言っています。

講和会議は敗戦国・日本の独立を認めるかどうかを決する正念場でしたが、米国を中心とする講和条約案に対し、ソ連は日
本独立を制限する対案を提出し、中国共産党の出席を求めるなど講和会議は紛糾していました。

そのような中を、ジャヤワルダナは「日本は自由であるべき、占領を解いて直ちに独立を回復させるべき」とし、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈愛によってのみ消え去るのである」と仏蛇の言葉を引用しつつ、アジアにおける日本の尊厳ある立場を述べた上で、日本に対する賠償請求権を放棄することを言明しました。その時会場はしばらく静まり返った後に大喝采が続き、結果として数か国を除き四九か国が講和条約に署名し、日本はついに国際社会に復帰したのでした。ソ連の思惑は日本の分割統治であったと言われています。

後に第二代スリランカ大統領となるジャヤワルダナは、同じスリランカ人のダルマパーラが日本の仏教界・仏教徒と深い絆で結ばれていたことをよく承知しており、またジャヤワルダナ自身の経験からも日本や日本人が一方的に裁かれる罪人であるはずはないと認識していたことなくなっています。
日本人であるならばスリランカのジャヤワルダナ大統領に対する感謝の念を忘れることができません。日本は明治以降の仏教文化を底流としてインド、スリランカ、他のアジアの人々と相互理解を深めましたが、野生司香雪もそこに連なり「釈尊一代記」の壁画として結実しているのです。

ダルマパーラの活動を支えた仏僧の一人は、インド共和国の初代法務大臣アンベードカル博士に「仏陀の教え(ダンマ)」を説いた方ですから、ダルマパーラは現代インドの仏教界に今も大きな足跡を残しています。

そのインド仏教界は佐々木秀嶺師により、導かれております。昨今、インドは世界の様々な分野で存在感を増し、まさに大国として羽ばたこうとしていますが、二五〇〇年前にインドで興った仏教の世界宗教としての普遍性は、世界で活躍するインド人にとってさらに大きな意味を持つものになると考えられます。

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