今月のことば「大事なものが見つからない 一生懸命探していたら 何を探していたのか 忘れてしまった 憶今日も生かされている 老悟開語」
法友の佐々木安徳さんからの年賀状。
古稀を三年過ぎ「稀」ではなくなっていたと。
彼より五歳年上の私はまもなく傘寿。
物覚えは悪く、物忘れはひどい。
保育所の子どもたちの名前がなかなか覚えられない。
「ひ孫の名読めない書けない聞き取れない」
「アレどこだ アレはあそこにソレですよ」
(シルバー川柳より)そろそろ引退をと思う。
老いを受け入れた素直な心で精一杯生きる。
これがボケない心なのですね。(和田真雄)
ボケが痴呆症に、そして認知症に。
呼び名が変わっても中身は同じ。
ではボケ、認知症にならないために何が一番大切か?
和田真雄氏は
「早期に発見すること}が大切と言われています。
そして、早期に発見し、バランスのとれた食事をするためには、若い人と一緒に生活することが一番ですと。
確かな信頼で結ばれた家族の中では、日頃と違う行動がすぐ変だとわかるのです。
この信頼関係をつくりあげることが、ボケの早期発見の第一条件であり、最も大切なことなのです。
そして、自分を頼みとし、自分で何とかしようとする自力我執を捨て去って、自分の老いを逃げることなく受け止めてゆく心が大切なのです。
「天命に安んじて、人事をつくす」(清沢満之)
どこまでも自分の人生を自分のものとして大切に生き抜いてゆく、しかもそれを誰のせいにするのでもなく、今の自分自身のありのままを受け入れるという、自己責任性。
これが天命に安んじて、人事を尽くす、ということです。
私をこのままに受け入れてくれるという絶対的安心の中で、その人を絶対に信頼する関係、うたがいなき心が必要だと。
親鸞聖人が「信はうたがいなきこころなり」と説かれる信心・念仏の心。この心こそが、家族とのしっかりとした心の絆を育て上げ、暖かい家族の中でボケになりにくくし、さらに早期に発見し大事に至ることがない、ボケにならない心であり、たとえボケても人間関係を破壊することのない、ボケても大丈夫という心なのです。
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