今月のことば「母の満中陰法要」

母(前坊守)が亡くなって早ひと月以上が経ちました。

お葬式はコロナ禍のため、家族・親族と総代さんだけに案内という形を取らさせてもらいましたが、縁ある方々からメッセージを頂きました。

「ご母堂様におかれましては、長寿の尊い人生を全うされ、多くの人々にお念仏の道をお示しくださったことと、拝察いたしております。(M様)
「初めて泊めてもらった時の朝食にレタスを食べさせてもらいました。私の初体験でした。大変お世話になりました。(T様)
「一億の人に一億の母あれど、わが母に勝る母なし?この度は大切なお母様とのお別れのことを知り、心よりお悔やみを申し上げます。(N様)
「西光寺での子どものヨーガを新聞で紹介していただきました。ご自分もヨーガに熱心に取り組まれ皆様のお手本でしたね。(B様)

早いもので満中陰法要がやって来ました。
満中陰とは、中陰が満了することです。
中陰は中有とも言い、輪廻思想に基づく死から次の生までの状態を指します。
俗説によると中陰中、一週間ごとに裁判が行われます。
生前の行いによって次の世界が決まるというので、縁者が裁判の前に法要を勤め、亡き人に善い世界に生まれてもらおうと追善回向したのが中陰法要です。
最後の七回目の法要が満中陰法要です。

なお浄土真宗では命終われば即お浄土に往生しますので、追善回向を行わず、阿弥陀仏の救いを味わう縁にします。
この満中陰が三か月にわたるといけないという迷信があります。
満中陰の四十九日を、始終苦と読み、三月(みつき)を身付きと語呂合わせしたものです。
これは病室に4号室がない。9号室もない。
死と苦を連想するから。と同じで根拠のない語呂合わせです。
我々は四国に住んでいますが、死国と読んで気にする人はいますか。

母の満中陰は三カ月目の十二月十六日です。

西光寺では門信徒向けの行事案内、仏典物語等を掲載した寺報「慈光」を発行しております。
寄稿もお待ちしております。発送いたしますので、お申し出ください。