今月のことば「西光寺前坊守 往生」

西光寺の前坊守、三浦萩子(住職の母)が先月末、お浄土に還りました。
享年一〇三歳でした。

幼くして開教師だった父母に連れられハワイに渡り、小学校低学年まで過ごしました。
帰国後、戦時中に西光寺に嫁ぎ、出征した主人に代わって西光寺を守り、戦後昭和二十五年に住職と力を合わせて保育所を設立、主任保母として子どもたちを保育しました。

退職後は好きだった日本画、短歌、手芸などを楽しみ、八十歳を過ぎるまでヨーガをしていました。
また住職と一緒に旅行も楽しみ、皆様方には大変お世話になったことです。

九十歳を過ぎて大腿骨骨折により車椅子生活となり、段差だらけの寺では生活が困難になり老人施設に入居、よくしてもらいデイサービスなどを楽しんでいました。
週一、二度はおやつを持っていったりして昔話をしたりしていたのですが、ここ数年はコロナ禍のため面会もままならず、ガラス越しの対面に限られていました。

百二歳になり誤嚥することが多くなり、入院して治療した方がいいと担当医に言われ、病院へ行き、各種検査をしたのですが悪いところはありません、健康体です、入院はできませんとY病院では断られ、H病院へ。
健康体ですが誤嚥による肺炎の心配があるので入院しましょうと。

口からの食物は受け付けないので点滴だけの治療に。
それも痛いし、もうしたくないとの本人希望で点滴もはずしました。
水分がとれませんのでもう長くはもたないでしょうという医者の言葉に、覚悟を決めていたのですが、十日間もちました。
最後は眠るが如く、老衰ですと。

寺でのお葬式をと思ったのですが、コロナ患者が増えつつある時期であったのと、保育所でもコロナ禍のためクラス閉鎖をしていた時だったので、三密を避けるため葬祭場で家族、親族、寺の総代さんのみの葬儀という形を取らさせていただきました。
長い間色々お世話になりました。
ほんとうにありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

西光寺では門信徒向けの行事案内、仏典物語等を掲載した寺報「慈光」を発行しております。
寄稿もお待ちしております。発送いたしますので、お申し出ください。