今月のことば「いま、こころに響く 仏教のことば」

いま、この混迷の時代だからこそ読みたいブッダのことば。
その本質を知り、実践することで、人生の扉が開くのを感じることもあるでしょう。
仏教伝道協会編

快楽から憂いが生じ
快楽から恐れが生じる
快楽を離れた者には憂いがない
まして恐れなどどこにもあり得ない

快楽や愛慕の情など、人間は、無意識のうちたくさんの煩悩を心の中に抱えます。
それらが人間をあやまちの道へ誘うのです。
それらの煩悩から離れることが永遠の平安を手に入れる唯一の方法としました。

愚かな者を
道連れにしてはならぬ

人間は、ともに行動する仲間に影響を受けやすいもの。
聡明な伴侶が見つからず、智慧を持っていなかったり、志が異なっていたりする人と旅をするのなら、勇気を持って孤独に進む方が良いものです。

せまい心を捨てて、広く他に施すことは、まことによいことである。
それとともに、志を守り、道を敬うことは、さらによいことである。
一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということがない。

ブッダによると、悪人とは「自分に示さえ才化人の親切に感謝できない人」、
善人とは「常に感謝の気持ちを持ち、親切にしてくれた人だけでなく、
すべての人に対して思いやりを持つことができる人」。
火は無数の人たちに分け与えることができるように、感謝や思いやりの心も、
たくさんの人達へ供することができるのです。

この世では、恨みが恨みによって鎮まるということは絶対にあり得ない。
恨みは、恨みを捨てることによって鎮まる。
これは永遠の真理である

ブッダは、さまざまな煩悩のおおもととなるものは、「無明(むみょう)」であると考えました。
無明とは、「智慧(ちえ)がなく、愚かである」ということで、「恨み」も無明から生まれます。
無明を」改めるには、自分が無知であるという事実を知ることも大切。
自分が無明であると気づけば、「怨み」という煩悩からも解き放たれるのです。

すべてのものは、来ることもなく、去ることもなく、生ずることもなく、滅することもなく、したがって得ることもなければ、失うこともない。

この世のものは見えるけれども、実在を伴わない、いわば幻や陽炎(かげろう)のようなものであり、それらに執着するのは愚かなことだと、ブッダは語ります。
ものごとを追わず、求めず、ありのままに受け入れれば執着は生まれず、迷いの道にとらわれることもありません。

ことばだけ美しくて、実行の伴わないのは、色あって香りのかい花のようなものである。

香りを放たず、見せかけだけの美しさを誇る花には、蝶は見向きもしないでしょう。
それと同じように、行動し、実を結ぶことが大切です。
同時にブッダは、「花の香りは、風に逆らっては流れない。
しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる」とも説いています。
すなわち、人の善行は他人にも影響を及ぼし、社会をも変える力を持つのです。

己が楽しみを求めるひとは、己が煩悩の矢を抜くべし。

煩悩が人から智慧を遠ざけ、迷いの道を深くします。
悲嘆、執着、憂いを取り除くことができるのは、自分しかいません。
煩悩の火を消し、心の平穏を得た人は、もう、どんな悲しみに惑わされることもなく、安らぎの中に身を置くことができるでしょう。

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