今月のことば「我亦在彼摂取中」
我在彼摂取中
我、また彼(仏)の摂取の中にあれども
煩悩障眼雖不見
煩悩が眼を障えぎって見ることができないけれども
大悲無倦常照我
大悲(仏)、俺きことなく常に我を照らしたもう
雑誌「酒」編集長、佐々木久子様の「形のない仏さまの存在」という文を見つけた。
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世の中には、形のあるものだけが生きる支えだ、と考えている人が多い。私の知人のSさんは、娘や息子が大きくなって、結婚したり、家を建てたりして出ていく。そのたびにせっかく貯めたお金がどんどんなくなってゆく⋯⋯と、悲しそうに訴える。
彼女は、どうしても形のないものの素晴しさを見ようとしない。
私には、仏さまがいて下さる。
私と一緒に歩いてくださる親載聖人という偉大なお方がある、という事の嬉しさを肌で感じ生きてきた。
衆生を救うためにこの世に現れて下さった仏さまは、私ちの目には見えないけれど、私自身が真っ暗な闇の中に落ち込んだとき、ふっと一条の光明を見せて下さる。堅い石の壁に閉じ込められて身動きのできないときでも、どこかがーつユラリと動いていることを知らしめて下さる。
仏さまを念じることは、私自身の中にある自我や妄執、火のように燃える嫉妬や様々な欲望をはっきりと見つめさせて下さるのである。
自分の心に棲みついている自我の虫と闘いつづけ、形のない仏様の存在をささやかに見る心を持つ事ができた。仏様を在家のものにしてくれた父母や先祖のおかげと感謝し合掌する私なのである。
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形のない、見えないけれどもあるんだよ。
金子みすぶさんの詩
『星とたんぽぽ』
青いお空の底ふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
みえぬものでもあるんだよ
散ってすがれたたんぽぽの
かわらのすきにだァまって
春がくるまでかくれてる
つよいその根はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
『知っている』
ののさまは
くちではなんにもいわないが
私のしたこと知っている
知っている
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