今月のことば「2児殺害、 心身喪失で母親無罪 4歳児虐待死、 両親に懲役7年 乳児虐待、 十七カ所骨折」
2児殺害、 心身喪失で母親無罪
4歳児虐待死、 両親に懲役7年
乳児虐待、 十七カ所骨折
ある日の新聞の社会面の記事見出しである。
いったいどうなっているのだろう。
自分が生んだ幼い子供暴行を加え、食事を与えず、頭骸骨や肋骨を折るなどの怪我をさせ、医師の診断を受けず死亡させる。
母性本能などの言葉はもう死語なのか!
かつて師から教えてもらった。
「仏の愛を慈悲という。
愛とは言わず、慈悲という。
慈しみと悲しみという字が入っている。
なぜか?愛は裏切られると憎しみに変わる。
愛憎という。
慈は裏切られると悲しみに変わる。
慈悲という。
それは母親の心を考えてみればわかる。
子どものことを一生懸命考え、一番いいと思うことをしてやる。
それを子どもが裏切った時、憎むだろうか。
いや、こんなにお前のことを思っているのに、どうして分かってくれないのかと悲しむ。
これが慈悲の心なんだ」
と。
こんな母親ももちろんいるだろう。
保育所へ送り迎えをしてくれているお母さんたち、仕事着のまま急ぎ足でお迎えに来てくれる。
子の手を引いて、おんぶして、片手には大きな荷物。
見ているだけで、がんばれと応援したくなる。
慈悲の心と言えば「金子みすゞ」さんの詩が思い浮かぶ。
みすゞさん心の底には、すべての生きとし生けるものは大いなるみ仏の慈悲によって生かされているという。
私の好きな詩をご紹介する。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽艦の
大漁だ。
濱は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだろう。
するだろう。
鯨法會
鯨法會は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
濱のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
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